Human Resources (人材)

寄り道したところに原石がころがっている

寄り道したところで結構いいものを見つける講義がある。
松浦先生の講義だ。実は私は入学する半年前から松浦先生の講義に参加している。

MBAをどの大学で学んだらいいかと複数の大学で10回くらい授業の見学をしていた。
そんなある日、松浦先生の授業見学をし、終わった後、お礼を言って帰ろうとしたら「また来てもいいよ」とだけ松浦先生に言われた。その意味が良くわからず「それは次回から毎回講義に参加してもいいということですか?」と確認してみた。「そういうことだ」と返事があった。タダで参加できるなら利用しない手はないと思い、「ありがとうございます。それじゃよろしくお願いします。」とすぐに約束を取り付けた。

寄り道をしたが、寄り道の話を続けよう。
松下電器での話しだ。松下幸之助は親族の入社を認めたくなかったそうだが、奥さんと娘さんのプッシュにより認めざるを得なかったそうだ。それであとでいろいろ大変だったらしい。
また、『メディアの支配者』に書いてあるが、フジテレビグループの元議長が亡くなった後、その奥さんが経営に介入しようとこれもかなり大変だったようだ。

結構、社長や元社長の奥さんが経営に介入してくるような話は聞くな、どうしてだろう。私は松下電器の話を聞いたときそう思った。
結局は 金 だ。節税対策のために、創業者の資産や起業した会社の株を妻の名義にするケースがよくある。特に厄介なのが株だ。その創業者の死後、妻は大量の株を持っているわけだから、経営に介入することができる。しかも、創業当時から夫も自分の生活も共にして事業をしてきているのを見ているから、会社をまるで自分の持ち物のように思ってしまうのだ。いや、確かに株を持っているから所有権も認められるのだ。
ということで、口を出す権利もあるし、自分のモノだから、自分の子どもや孫のために会社を利用したくなる。保養所があれば自由に使いたくなる。でも、親族がいきなり経営陣に参加してきたりするとなると衝突は避けられないだろう。

ということで、もし、私が会社を設立したなら、節税はできなくとも妻名義の株は持たせないようにしよう、と思った。それは妻の幸せのためでもあるし、働く人々のためでもある。

ホワイトカラーとは違うナレッジワーカー

ナレッジワーカーが注目されつつある。ナレッジワーカーはホワイトカラーとは違う。
これまでは、労働者をホワイトカラーとブルーカラーに分けていたが、さらにナレッジワーカーが加わり3タイプに分けられる。
ナレッジワーカーは日本語で知識労働者。ナレッジワーカーはただ知識を持っているだけではなく、知の編集能力を持った労働者のことだ。一方デスクワークをするだけの労働者はホワイトカラーだ。

例えば、最近のテレビや雑誌はプロデュースしているだけで、自社でコンテンツを作ることはほとんどないそうだ。コンテンツの作成はアウトソースしている。プロデュースは正に知の編集である。
自分たちは例えば「最近投資ブームだから、それを題材にした番組を作ろう。冒頭ではデイトレーダーで儲けた人と損した人を紹介して視聴者をひきつけ、それぞれ何が原因でそうなったのかインタビューした内容を放送し、中盤ではネット取引を持ち出し、最後に今後の景気予測や格差社会を展開して、皆が投資をしなければならないと思わせるようにしよう。」といった構成を考え、インタビューが必要ならそれをアウトソースしている会社に依頼し、ネット取引の実態については別のアウトソーサーに取材させ、格差社会についてはどこそこの大学教授のインタビューをこれまた別のアウトソーサーに依頼する、といった感じだ。

ナレッジワークはどの会社でも必要だ。みんなこのような経験はないだろうか。
会社で同僚が顧客と電話で話している。何か問題を抱えているようだ。後でその同僚と話をしてみると、以前自分も経験したことがある問題だった。解決策をそれぞれ出し合っていくうちにいいアイデアが生まれる。それを実戦してみたらうまくいった。そこで、その問題と解決策を他の同僚にも話してみる。するとそれは徐々に広まり皆同じように行動し、問題は問題ではなくなった。
これはナレッジワークの1例である。これはSECIモデルになるのだが、問題を感知し、話し合うことで明るみに出す。そこから実効性のあるアイデアをドキュメント化してまとめ、他の人にも広げる。
ホワイトカラーは明るみに出てドキュメント化されたものを読み正確に実行するだけだ。

ナレッジワーカーもホワイトカラーも最終的には同じ仕事をするかもしれないが、そこにいたるプロセスは大きく異なる。
会社にとって重要な人材は、価値創造ができ、代替性が低く、模倣困難性の高い人だ。マニュアルを読んで実行するだけでよければ簡単に入れ替えができる。しかし、効果あるマニュアルを作成できる人は簡単には入れ替えができない。

ナレッジワークは資本(お金)を必要とせずにお金を稼ぐのだ。
既に、ほとんどの企業の、株式の発行数x株価による価値は、その企業が所有する資産よりも多い。それは無形資産が含まれていることを意味する。
そして労働市場においても価値があるから、ホワイトカラーよりもナレッジワーカーの方が給料もよくなる。

SECIモデルについては、野中郁次郎・紺野登『知識経営のすすめ―ナレッジマネジメントとその時代』ちくま新書、野中郁次郎・竹内 弘高・梅本 勝博『知識創造企業』東洋経済 がお勧めです。

EQが創る場と関係性

野田先生、熱い。話しているうちに情熱的になってくる。
野田先生はよく言う「人事ではやる気をいかに引き出すかが大切だ。方法は何でもいい。」
授業でもそれを体現しているのだ。
野田先生に限らず、多摩大学の先生方はみんな熱い。それがこの大学に決めた理由のひとつだ。
高いコストをかけてわざわざ大学にいかずとも、知識は身につけることはできる。
重要なのはその知識を使って創造する「何か」だ。創造をかきたてる授業が”私にとっては”ある。
これは合う人合わない人がいるでしょう。”私にとっては”この場がフィットしているということだ。
私は、私と相手(大学院、先生、学生など)との関係でアウフヘーベンが起こる場が創れるといいな、と思っている。

さて、学部のときに抱いていた先生に対するイメージとはまるで違う。
大教室でたくさんの学生がいて、先生は遠くで淡々と本の解説をする、それが私が学部のときのイメージであった。
しかし、よく思い返せば、ゼミの授業のときの関口功先生は違った。語るうちに熱っぽくなっていったのを覚えている。少し興奮気味だった。大教室での先生とまるで違うから、友達と驚きを共有したのを覚えている。
よくよく考えると、実は本当は先生方はみんな熱いのかもしれない。聞き手のレスポンス、何かを身につけてやろうというやる気が先生を熱くして、熱くなった先生を見て聞き手もまた熱くなる。先生と学生の関係性がお互いを楽しくしているのだろう。

それが昔、私が学部の時に知ることができたら。。。。そういう意味では学部の4年間の充実度は、この2年間分にも満たないような気がする。もったいないことをしたなー、あの頃の私はEQが低かったなー、としみじみ思う。
ま、とにかく今を一所懸命やるしかない。一度きりの人生だし。

組織文化は変えられない

今日のMBAは松浦先生の組織文化論。

シャイン 『組織文化とリーダーシップ』を材料にしてやっている。
私にとってもっとも有益であったことは、
(1) (短期間で)組織文化は変えられない。
(2) 組織文化のクローンは作れない。
ということだ。コッター/ヘスケット 『企業文化が高業績を生む』も読んだが同じ結論だ。

組織文化の形成の1要素として、外部環境に適応があげられる。
当初外部環境にうまく適応し高い業績を上げていたのに、いわゆる大企業病にかかって業績が低迷している企業がある。一方では好業績をあげている同じ業界のベンチャー企業がある。これはよく見られる風景だ。
大企業にとってみればその業界にはビジネスチャンスは十分にあり、多くの資本も人も所有している。ベンチャー企業がやっているやり方、組織文化をまねしたら、簡単に業績を回復できそうなものだ。
しかし、それができない。
文化はスポンジのように変形させても戻ろうとする力が働くという、前の文化の方が居心地がいいからだ。
事例として、文化を変えることは難しく、できたとしても10年はかかるという。だから組織文化はそのままで制度やプロセスを変えて外部環境に対応するしかない。

以前私が勤めていた会社で組織文化の違いから、たくさんの齟齬を経験したことがある。
50人以上の規模の仕事を受注したが、人がいなかった。だから短期間に、たくさんの人を、複数のルート(新卒、中途、3箇所くらいの別の事業所)から集め、同じ職場で働かせた。
皆それぞれ異なる文化を持ち込んでくる。顧客満足のためにどうしたらいいか、この1点でさえ、意見が真っ向から対立してまとまらないのだ。各人は自分の考えが正しいと主張する。
そう、皆正しいのだ。各人の経験的原則は異なるからそこから導き出される答えも異なる。
しかし、決めるべきことを決めなければ次に進めない。それでどうしたか。
それぞれまるでローテーションのように妥協をしていった。前回Aさんは妥協したから今回はAさんの意見を取り入れよう、と。一見すれば大人の解決方法だ。
結果、全体として見たらまとまりのない、矛盾だらけの行動になった。文化に必須の価値観の共有もされなかった。
あの時、皆が組織文化についての理解があればもっと違った結果が出せたかもしれない。

MBAで得る知識は特別なことではない。誰もが真剣に悩み取り組めば必ず辿り着く知識である。けれども知っていればその分短時間で解決に導けるアドバンテージはある。
もちろん、「知っている」と「出来る」は違うから、MBAと会社の往復で「出来る」を増やしていきたい。