Human Resources (人材)

目に見える知識と見えない知識

今日は会社で、マレーシア人と中国人に、目に見える知識と見えない知識の話をしました。
うんうん、と言っていたのでたぶんそれなりに理解はしていただけたかなと思います。

目に見える知識は、形式知と呼びます。コンピュータで扱うことができるものです。
目に見えない知識は、暗黙知と呼びます。コンピュータで扱うことができないばかりか、伝えること、教えることが難しいです。体で感じて自らで学ぶしかありません。

暗黙知を伝えよう、目に見えるようにしようと努力することで、何らかの形になります。それが形式知です。形式知の積み重ねから暗黙知が生じます。そしたらまたその暗黙知を形式知にするよう努力します。
これが何か新しいものを生み出すプロセスです。
このプロセスは、個人レベル、他者との相互作用で行われます。

感情のマネジメント EQ – 1 of ?

Daniel Goleman (1995), EMOTIONAL INTELLIGENCE-Why it can matter more than IQ : . (土屋京子訳 (1996) 『EQ―こころの知能指数』 講談社。)の紹介。
私はこの本を読んで「やっぱりそうだ」と思った。そして少し安心したと同時にその課題に取り組むことの難しさを痛感した。内容が非常に濃いので、私なりのsummaryは数回に分けて書こうと思う。

IQが非常に高く、東大を卒業し、勤務先で出世し、収入も多いのに暴力事件を起こしたり、ひどい場合には殺人事件にまで至るケースがある。そういった事件を起こさなくともIQ (intelligence Quotient) が高い人が必ずしも成功せずに、平均的なIQの人が大成功するケースが多々ある。つまり、「IQが高いからといって必ず幸せになれるわけではない」のである。このことに多くの方は経験的に同意するであろう。
現代の学校教育におけるmetricはIQである。場合によっては家庭における教育の中心にもIQがあるのではないだろうか。必ずしもIQが人生の成功を導くわけではないことを知っていながら、幸せになるためにIQに頼っているのである。
さらに重大な事実は犯罪の増加傾向である。子どもの犯罪も増加している。感情を抑えきれずに、他人も自分も傷つける凶悪な犯罪である。この背景には教育に欠けているものが見え隠れしている。
社会は個人にとってのインフラである。犯罪が多発しているインフラの上で個人の成功や幸せはあり得ない。今は良くても次の瞬間犯罪に巻き込まれるかもしれない状態なのであるから。

これらの問題に対するキーワードはEQ (Emotional Quotient) である。

EQのEはEmotion(情動)である。情動という言葉はもともと行動に結びつくニュアンスを含んでいる。
情動は特定の行動パターンに結びついている。これを情動反応と呼ぶ。
動物の情動反応はすなおである。敵が襲ってきたと判断すればすぐさま攻撃態勢をとるし、目の前に現れたものが獲物であると判断すればただちに捕捉しにかかる。情動がそのまま行動に表れる。
動物の中でもヒトだけは情動がすなおに行動につながらず変則的な表れ方をする。これはヒトならではの脳の働きの違いによるものだ。しかし、情動に支配され、他の動物と同じくすなおな情動反応をおこしてしまうことがある。情動のハイジャックがおこったときだ。
情動のハイジャックは扁桃核と関係がある。扁桃核とは大脳辺縁系の底辺に左右にひとつずつあるアーモンドの形をした神経核である。

扁桃核の理解を進めるために、ヒトの脳の進化、構造、動作を説明する。(次回に続く)

素晴らしい仕事をするより、いかにして仕事を素晴らしくするか

今私は素晴らしい仕事をしているだろうか。私の子どもに誇れる仕事をしているだろうか。そして子どもが私の仕事のどこが素晴らしいか話せるだろうか。
誰もがわかるように私の仕事の素晴らしさを説明できるか考えた。

これが以外に難しい。

私が勤める会社はパソコンなどを製造して販売している。私はそこでエンジニアとして働いている。これは素晴らしい仕事といえるだろうか。同様の会社は他にいくらでもあるし、私と同様のエンジニアもたくさんいる。
または、大きな金額の商談をまとめることが素晴らしい仕事であるのだろうか。

この発想は違う。

問題は素晴らしい仕事をするより、いかにして今やっている仕事を素晴らしいものにするか、ではなかろうか。
例えば、日本古来の製鉄法である「たたら製鉄」がある。職人の技と勘が必要とされる。
この仕事の素晴らしいところは、この製鉄法を千年以上も受け継いでいる、その人ではないだろうか。教わった技術はそのままでは使えない。状況に応じて判断して技術を発揮していく。

リモートオフィスの限界

多くの方は感覚的に、またはある人は実感をもって認識していることかもしれません。チーム本体から離れた場所で仕事をすることの限界について。最近、私は限界を思い知らされています。

私が所属する組織のメンバーは、日本、中国、マレーシアに分散しています。およそ半数のメンバーはマレーシアにおり、その中に私の上司がおります。また、私がマネージャーを努めるチームのメンバーは中国におります。
つまり、私の上司とチームメイトの多くがマレーシアにおり、私の部下は中国にいるわけです。

この組織が編成されたときには、離れた場所にいるけれども情報共有を進めて、お互いに職務遂行能力を向上させられるようにがんばろうと思っていました。しかし、今のところほとんど進展していません。
私が考えるに次のような理由があります。

1. 文化の違いによるギャップ
文化が違えば何が違うかというと、大切にするポイントや仕事の進め方が違います。例えば日本では職務範囲や責任範囲があいまいですから、何か物事を進めるときにその背景を理解し、周辺のことにも注意を払います。しかし、国によっては明確に責任の範囲を設定し、それを超えることは絶対にしません。結果的に私から見れば柔軟性に欠け、手続きを増やしているだけに映ります。

2. 外部環境の違いによるギャップ
会社を取り巻く環境、競合相手、顧客、社会の状況が異なれば物事に対する優先付けも変わります。
私が日本の社会的な状況を踏まえてこれは重要だから徹底させたいと考えても、他国ではまったく問題視されていない場合、優先度が低くなります。日本の人件費は高額ですから、いかに人を使わずに、短時間で終わらせるかをベースに全てを考えていますが、人件費が安い国では最初にそのことを考えることはありません。

3. 暗黙知の共有ができない
暗黙知とは、文書にしたり話したりと形式化しにくい知識のことです。雰囲気とか~のような感じといった感覚的なものです。その積み重ねから話すことができる知識が生まれます。
SECIモデルによると暗黙知を形式知にする繰り返しで、組織における知識レベルの向上を実現できるのだが、その出発点は暗黙知なのです。つまり、この暗黙知がないとSECIモデルは回せず、知識レベルの向上もできない、ということです。本当に私は当初情報提供によりこの不足するであろう部分を埋めようと考えていたのですが、お互いに意識がないと受け取ってもらえないですね。

離れ離れで仕事をしていると、会社に来ているのかどうかさえもわからないし、どれほど忙しく働いているのか、または余裕があるのかもわかり合えません。見えるところにいれば、いちいち話さなくてもそういった状況はおおよそつかめます。
離れているので、頻繁に電話やメールでやり取りをしています。特に私の部下とは意識してコミュニケーションをとっています。これは内向きのコミュニケーションに時間を割いているのです。外向きのコミュニケーションもとらないといけないので、それも行います。すると自分自身の仕事はほとんどできないのです。ここにジレンマがあります。

正直に既に半年以上が経過しましたが、組織を変更したことによって得られたものはほとんどありません。
実は暗黙知の共有ができれば、先に書いたギャップのほとんどを埋めることができるのではないか、とも考えています。

この問題の解決策を出すとすれば「相互理解」でしょうか。
↓「暗黙知」や「SECIモデル」についてはこの本がわかりやすいでしょう。