小山内 裕

ユニークに満たすニーズ (by 嶋口先生)

今日は嶋口先生の戦略的マーケティングでひとつ気づきがあった。

日清食品の即席麺の米国進出を題材にしたケースメソッドを行った。
まず最初に進出すべきかどうかという問いに対し、80%の人が進出するという決断を下した。
さらに進出する場合のポジショニングをどうするかという問いに対し、70%の人が市場が存在しない新カテゴリでいくという。
よく周りを見ていると、進出するという人は新カテゴリで、進出しないという人はもし進出するなら既存市場にポジショニングするという。
つまり、進歩的な人と保守的な人に分かれたのだ。中間に位置した人は5%くらいだった。
私は新カテゴリで進出するという完全な進歩派だった。
後で考えれば確かに進出することはいくつかの高いハードルが存在した。だからこそ、ポジショニングは既存市場にして比較的楽にいく方法を検討してもよかったかなと思った。

家に帰ってから思い出した。以前、マイナスイオンを発生するソックスの販売を検討したことがあった。いろいろ試してみたけどまったく売れなかった。それで当時は、マイナスイオンの衣料という市場はなかったので、まず市場を作るために莫大な広告費用が必要だと気づいた。
ソックス(靴下)という市場はあるのだから、そこで贈答用というコンセプトでいけばまだ可能性はあったかな。
どうも私はepoch-makingなことをしようとしてしまう傾向がある。だから堅実だとおもう手法を追求するように心がけてちょうどいいのかもしれない。(同じクラスの人たちも同じだ。気をつけよう。。。)

最後に、結論のようなものが出たところでちゃぶ台をひっくり返すようだが、実際には日清食品ははじめ新カテゴリで進出して失敗したが、最終的に成功を納めた。失敗があっての成功だったのかもしれない。そう考えれば、失敗できる範囲内で失敗して経験を積むことこそ、大切なのかもしれない。

評価システムを考える (成果主義)

昨日は野田稔先生のHuman Resources Managementに出席した。話題は成果主義について。学部のときの私の卒論のテーマは能力主義だっただけにこの辺の話には敏感だ。

それにしても野田先生は情熱的でinspireされるものがある。ご自身の考えを持ってはいるがそれを押し付けようというところはなく、柔軟さが伺える。それは聞いている方が論理的な自分の考えを持たなければならない状況に追いやられる。さもないとついつい聞き流してしまうだけになってしまうことになる。

さて、課題は成果主義の定義をせよ、というもの。高橋伸夫 『虚妄の成果主義』での定義はあるものの、他にはなさそうだ。そこで自分なりに定義するとどうなるか。
成果主義の定義は、事業の目的達成に対する貢献度とその過程を評価することである。
成果主義の目的は個人または組織にその活動の結果(貢献度)をフィードバックすることで、反省と次の貢献につながる行動を促すことである。
成果は事業活動によってもたらされる結果であり、成果を出すことが事業の目的ではない。同様に組織で働く人々の結果として成果が出たり出なかったりするが、成果を出すことが目的ではない。P.F.ドラッカーによれば顧客創造が事業の目的であり、利益としての成果は事業活動の妥当性を判定する基準に過ぎない。
事業活動の結果だけでなく、結果が出るまでの過程は、その組織の理念や方針に沿ったものでなければならない。理念や方針は組織の存在意義を示すものである。存在意義の体現は顧客へのメッセージでもある。理念に反する行動は、事業体が本来意図しているものとは異なるメッセージを顧客に与え、自ら存在意義の否定につながりかねない。
評価方法は経営理念(または方針)、組織文化、事業特性を考慮して決定されるべきである。例えば、個人間に大きな差をつけるのかつけないのか。チャレンジングな目標設定を受け入れる組織文化なのか。変化の激しい事業なのか。安定した事業なのか。例えば、個人のスキルへの依存度が高く、変化の激しい事業で、労働流動性が高いが非常にチャレンジングなことを好む従業員が多い場合、目標管理制度(MBO)が効果的であろう。個人目標は常にストレッチゴールを設定することが自己表現であり、目標も3ヶ月に1回見直しても問題ない。
評価対象は個人と組織で分ける方法もある。個人の貢献度と事業の目的達成度が必ずしも一致しない場合もあるから、最終的な評価結果は個人評価x組織の成果となる。
人が人を評価する以上、正確性を追及することは不可能だ。むしろ納得性を高めることを追及すべきであろう。それには、評価する人とされる人との定期的なコミュニケーションとフィードバックは必要だ。どこを評価してどこを改善すればよいのか、また手本になるような人は誰かを具体的に知らせる。評価に透明性を持たせようとすることは、評価する方が正確な評価をせざるを得ないことを意味する。

お礼のコミュニケーション

私は人にお礼言ったり褒めたりすることを心がけている。褒めるこことには賞賛、承認も含まれる。

例えば、仕事上で何かやってもらったら必ず具体的にお礼を言う。ただ「ありがとう」とだけは言わない。具体的に何がどうしてありがとうなのか表現する。例えばこうである、「急なお願いにも関わらず丁寧にしかも早急にやってくれてありがとう。」そしてさらに「大変だったでしょう。」とか「ここがよかったですね。」と。

これは、双方向のコミュニケーションだ。お互いに評価する/されるポイントを確認し合える。お礼を言う方は本当に評価すべき行動を取り上げる。お礼を言われる方はどのような行動が期待され、どうすれば評価されるのかを経験を通して知ることができる。

これは上司部下の関係になるともっと意味を持ってくる。もし結果や結果にいたる過程で評価できないことがあった場合は、まず褒める。そして、改善すべき点は明確に改善を要求することが必要だ。

英語ではごく普通に「Thank you for your help.」といったように何に対してありがとうなのか表現する。欧米では日本と比べて言葉で伝えることが非常に重要だからだ。言葉が全てといっても言い過ぎではないだろう。日本でも個人の考え方の多様化が進んでいる。考え方、価値観が異なれば「言わなくてもわかるだろう」というのは通じなくなってくる。
そもそもpoliteにrespectしてお礼を言われてうれしくない人はいないだろう。