小山内 裕

サービスドミナントロジックとポスト資本主義(3/4)

サービスドミナントロジックの主要概念は「価値共創」である。
とても重要なポイントである。

これまでもコラボレーションというものがあるが、それはどちらかというと供給者同士の価値共創である。
サービスドミナントロジックにおいては、顧客と企業の共創である。よって、生産者と消費者の関係は主体と客体ではなく、主体と主体となる。よって、双方共にコミュニケーションを図ることになる。

もう少し言い換えると、価値共創においては、生産者はいかに消費者にモノを売るかということは考える必要はなくなり、いかに価値共創するか、に主眼が置かれることになろう。反対に消費者は、いかに価値を与え価値を得るかを考えるようになり、購入時に騙されないように気をつける、などという必要はない。消費者の行動次第で受け取れる利得を増減できるからだ。
そう考えると、企業側はこれまで自らがコントロールしていたマーケティングの4Pの一部を、利用者に与えるような形になる。4Pとは、Product、Price、Place、Promortionである。

価値共創を進めると、製品(Product)は利用者によって作られ、その価値(Price)も利用者が決める。宣伝(Promortion)なども利用者が行うことになる。これは企業が受け取るリスクを低減することになるかもしれない。
なお、ここでいうリスクとは単なる危険、危機、損失というものではなく、「ブレ」のことである。つまり、予想を超えて損失を出したり、利益を受け取ることをリスクという。

また、生産と消費の関係は継続的で、お互いが主体で、コミュニケーションが双方向ということになると、どちらが供給でどちらが需要か不明確にならないだろうか。

私はそこにポスト資本主義を見出したような気がする。

サービスドミナントロジックとポスト資本主義(2/4)

現在の資本主義は「競争」の上に成立しているといえないだろうか。
行き過ぎた競争は、勝者がマーケットのパイを全部奪う、いわば「winner takes all」を目指そうとする。
利用者や消費者の利得、マーケットのイノベーションを期待するならば、独占は必ずしも適切ではない。

マイクロソフトはクライアントOSの市場ではほぼ独占している。それは、ユーザーにとって大きなメリットでもあった。OSが同じということは、パソコンを買い換えるたびに、毎回使い方を覚える必要がない。友人に教えることもできる。
だが、行き過ぎた場面ではデメリットが大き過ぎる。
マイクロソフトの行き過ぎた場面は何であろうか、ユーザーのメリットを無視し、エゴに走ってしまった側面があるように思える。象徴的なのは、新しいOSであるVistaとOffice 2007にみられるようにユーザーインターフェースをガラッと変えてしまったことである。

多くの人が使用しているメリットはファイルの互換性よりも、使い勝手にあると私は思う。
互換性はコンバーターが司ることができるが、使い勝手はそうはいかない。使い勝手は生産性に影響を与える。
使い慣れた人々は、どこをクリックしてよいのかもわからず、いたずらに時間を浪費し、フラストレーションを抱える。これは明らかな「コスト」である。

だからといって、マイクロソフトの全部を否定しているわけではないことを明言しておく。
ウィンドウズの良い面も引き続き有効である。例えば、サーバーではリナックスの技術者よりもウィンドウズの技術者の方が多い。よって、人材を探しやすいし、報酬も高くはない。ウィンドウズで動作するアプリケーションも多く、かなりこなれている。それらの過去の資産をすべて無為にしてしまうのはもったいなさ過ぎるくらいである。
私は個人的には中小企業ほどウィンドウズをお勧めする。万が一、IT技術者が退職してしまっても、だれかが何とかできる可能性が非常に高い。

さて、なかなかサービスドミナントロジックの話にならないな、と思われるかもしれないので、ちょっと次回の分をお話しすると、主要概念である「価値の共創」に重大なヒントを見出す。

サービスドミナントロジックとポスト資本主義(1/4)

1989年、ベルリンの壁の崩壊とともに社会主義が転換期を迎えた。
それからほぼ20年を経た今、資本主義も大きな転換点に立ったといえないだろうか。

東西対立が示したように、社会主義の成立は資本主義の存在が前提である側面がある。
資本主義と対比することでその長所を強調できた。しかし、知識や情報が自由に国境を越える今、社会主義のほころびの方が目に付くようになってきた。
一方、資本主義についても同じことが言えないだろうか。
やはり、社会主義と対比することでその長所を夢に置き換えることができた。しかし、対比すべき対象がなくなり、自壊への道を歩むしかなかったのだろうか。
実は、ポスト資本主義はもう何10年も前から論じられている。
資本主義の次に来るものは何だろうか、と多くの人々が研究しているのである。

私はサービスドミナントロジックの基本論理にそのヒントがあると思う。

夢ある起業家が集まる場所(1/2)

「かわさき起業家オーディション ビジネス・アイデアシーズ市場」で事業計画発表会に参加してきた。
私の当初の予測を超えて、夢があり、社会性に富み、楽しいものであった。何度も心が震える場面があった。

私は今回が初めてなので、毎回どのようなものなのかを知らないが、人づてに聞くと、今回はいつもよりも随分と良かったらしい。

私が取り上げたいアイデアが2つある。
1つ目は「自然滑空グライダー」。小林和夫さんによるもの。
はっきり言ってしまえば、紙を切って折っただけのものであり、誰もがすぐに真似ができる。
しかし!それを連続100枚飛ばす様を見てつい顔がほころんでしまう。
夫婦2人がそれぞれ物干し座をのようなモノを持って、高い位置からグライダー100枚を連続して飛ばすのである。
何が顔をほころばせるのか、主観的に分析した。
1) 奥さんと協同してグライダーを飛ばしている。夫婦の仲の良さ。
「こんなの何が楽しいのよ。」などと言う非協力的な奥さんもいそうだがそうではない。
2) 手作りの感。
物干し竿のようなモノの手作り感が何ともいえない。
3) 100枚のグライダーが飛ぶ姿はだいたい予想通りの結果である。
だから、グライダーよりもそれを飛ばしている夫婦の姿に目が行ってしまう。

以上のように、グライダーではなく、それを一所懸命やっている夫婦の姿が顔をほころばせるのである。
これが非常に重要なのである。
そこに将来の自分を見るのである。こうありたいというような夫婦像。
小林さんには申し訳ないが、一見するくだらないようなことを夫婦そろって一所懸命にやれることほど幸せなことはない。実際にそれができる夫婦はどのくらいいるのであろうか。

私はその姿に感動した。妻と年を取って、人前で、しかも起業家オーディションで紙飛行機を飛ばすなんて素敵じゃないですか。

さて、私なりにビジネスの実現性を考えてみた。
1) ジャンボグライダーに挑戦!企画。
スポンサーを見つけ、河川敷で大掛かりにジャンボグライダー(5~10mのもの)を飛ばしてみる。
見るだけだが子どもも大人も楽しめるのではないだろうか。
2) 飛行距離を競う
グライダーに工夫を凝らし、いかに長距離飛行ができるかを競う。
これも、スポンサーを見つけイベントを開催する。