2010年 1月 の投稿一覧

息子がぐずって保育園に行きたがらない

2歳の息子が保育園に行かないと言い出した。
まだしっかりと言葉を話せるわけではないから、実際にはそう言ったわけではない。が、

朝、保育園に行こうと玄関を出ようとするところでぐずる。
保育園へ向かう分かれ道でぐずる。
保育園の入り口でぐずる。
泣き叫んで、仰け反って、行きたくないという意思を示しているのである。
だから、抱きかかえられて無理やり保育園の先生に預けられるのである。

毎朝のことなので、妻も手を焼いてどうしようもないというから私の出番になった。
その朝、例のごとく「行きたくない」とぐずり始めた。
もう、その日は何時間でも付き合うつもりだった。

何で行きたくないのか聞いた。
「お友達が嫌なの?」「先生が嫌なの?」
どっちも嫌だと言う。
ハッキリした理由があるわけではなさそうだった。

いじめれらているといったことではなさそうなので、とりあえず強制的に保育園まで連れて行った。
部屋の入り口で「どうしても行きたくない」という。

私)「それじゃどこに行きたいんだ?」
息子)「コーエン(公園)」
私)「パパは会社に行くから1人ぼっちだよ」
息子)「いいーよ。」

ということで、近くの行きつけの公園に連れて行き、1人置いて会社へ行くフリをした。
少し間をおいて、泣きながら後を追ってきた。

私)「それじゃ、どうするの?」
息子)「おうち帰る」
私)「いいよ、でもパパは会社に行くから1人でお留守番だよ」
息子)「いいーよ。」

妻が出かけたころを見計らって、家に帰り、1人置いて「会社に行ってくる」と家を出た。
すぐに、家の中で「パパー、ママー」と泣き出した。
ここはじっとガマン。

日中はみんなそれぞれ仕事があって、家にはいないということを知ってもらわないとならない。
3分くらいして家に戻り、もう1度保育園に連れて行った。
やはり行きたくないという。
そこで、園の庭で思い出を作ることにした。

息子を抱っこして、「木の芽があるね」とか「さくらんぼが残ってるね」とか園の庭の4隅を中心に観察した。

遊具に座って一緒に空を眺めたりもした。

少し高い所に立って「すごいよー」と言う息子。

「寒い、寒い」と言いながら、日の当る場所を探して移動したり。

日常の延長で特に変わりない時間を過ごした。

だが、よく考えてみれば、息子が生まれたときにはもうお姉ちゃんがいて、父子2人きりで過ごした時間はほとんどなかった。

恐らく、初めて2人でゆっくりした時間だったと思う。
そのうち、息子は自分で階段を上って2階の友達が待つ部屋へ行った。

大学受験に失敗したら働くつもり

先日、神保町駅で下車してある顧客まで行ったときの話しである。

今までその顧客の会社へは九段下の駅で下車して行っていた。
ただ、それだと、渋谷で乗り換えないとならない。面倒である。

別ルートで半蔵門線を利用することも可能だったが、どうもしっくりこなかった。
調子が乗らないのである。フィーリングが合わないのだろう。

ということで、駅から少し歩くことになるが、その日は神保町駅で下車することにした。

神保町の駅には別名(シノニム)がある。「専修大学前」。

専修大学の神田校舎の最寄り駅が神保町であることはずっと昔から知っている。
私はその大学の卒業生だから。

私は「専修大学」の文字を見るたびに身が震える。
感謝の気持ちで一杯になる。涙さえでそうになる。

今の私のスタートラインを与えてくれた大学だからだ。

受験当時、私の偏差値の平均は50に届かなかった。定期的な模試で、30代の偏差値だって珍しくなかった。
そんな私を受け入れてくれた唯一の大学。

私の高校時代は、電気の勉強ばかりで、受験科目の勉強など一切したことがなかった。
英語、数学、古文、現代文、世界史、日本史、物理、生物学などほとんど中学生レベルの内容ばかりであった。

そんな私がそこを飛び出して、大学受験に挑戦したのである。
大学受験に失敗したら働くつもりだった。

受験日までちょうど1年という時に、進学したい大学を探すことからはじめた。
慶応、早稲田、東大くらいしか知らなかったが、そのときに初めて「日東駒専」という言葉を聞いた。
なぜか、専修大学が気になった。
ここに行けなかったら、大学進学はあきらめようと思った。
が、いちおう、日大、東洋、青学、センター試験も受けた。

結果的に合格したのは専修大学だけだったのだが。。。

さて、専修大学の受験は、英語、国語、数学の3科目。
英語と国語は30点くらいだったんじゃないかと思う。まったくといってよいほどわからなかった。

だが、数学だけは別格だった。
数学だけは100点の自信があった。時間的に余裕もあり、十分見直しもできた。

実は、数学だけは好きで、得意だった。
唯一、勉強しただけ結果が表れた科目だった。
だから、もっとも勉強に時間を費やした。

それでも、3科目の平均点で見れば、不合格間違いなし、だったろう。
だが、合格したのである。

恐らく、数学だけで入学させてくれたのだ。
たった1つだけだができていたから入学させてくれたのだ。

平均で判断せずに、1つだけでも長所があれば取り上げる。
専修大学がそうしてくれたから今の私があるのは事実である。
もっと言えば、私を採用してくれた会社も同じであろう。

だからだろうか。
私は平均的にできる人よりも、1つでも飛び抜けたものを持っている人が気になる。
当然、平均的にできる人も組織にとって必要であるのに。

調子を取り戻す1つの方法

仕事の都合で、中途半端な時間に、中途半端な夕食しか取らなかった。

そのせいで、帰路、23時過ぎに最寄り駅に着いたときに小腹がすいてしまった。
もう、その時間の選択肢は限られている。コンビニ、牛丼屋、マック。
だが、時間的にあまり重たいものは避けたい。
そこで、マックに行くことにした。
ベーコンポテトパイとオレンジジュースを受け取って席に着いたときに、フト若返った、気がした。

学生時代、最終電車が去った後の渋谷のマイアミにタイムスリップしたのである。

店員以外の声はほとんどなく、静かなざわめきがあたりを支配し、なんとなく疲れた雰囲気を醸し出している人や、無駄に時間を潰しているように見える人。。。
そういった諸々のことが、これから訪れる長い夜を予感させた。
マックで、その状況にに予期せず突入したのだ。

そうしたら、当時の気持ちにスッと置き換わった。
無意識に学生時代の自分が呼び戻されたのである。
無責任で、身軽で、将来の不安もない刹那的な自分。
なんとなく気持ちよかった。いつまでもそのままでいたいと思えるような。
だが、私は知っている。
このまま朝までそこにいたら必ず後悔することを。
明け方5時を過ぎたころ、なんとも言えない疲労と、無駄に時間を過ごしてしまったことへの後悔。
寝不足で判断がおかしくなっていることも作用して、ネガティブな考えが渦巻く。
.....私が書きたかったのはそういうことではない。
環境を変えることで、自分も変われるという一例である。

もし、スランプに陥ったなら、調子の良かったときの行動パターンを思い出して、再実行してみたらよい。

私は、スランプに陥ったときに、散髪を、以前行っていた美容院に帰ることで調子を取り戻した経験もある。

グローバル化後の国際化とはどういうことか

「ワロタ ”売上高増加分の大半を海外市場でまかなうとしている。”」

「かくあるべし。」
「さすが、考える事がグローバル!!でも僕も負けてらんないなー」
「地元意識が弱い会社はやることがハデだなぁ。どっぷり地づいてた前の会社では、海外法人への「大量転勤」計画が出ただけで人材流出が始まったというのに」
「周囲を無視し続けてこのまま行ったら問題だと思う。自分(の派閥)さえよければいいとう政治家みたいな自己基準はリーダーとしてどうなのか?」
賛否両論が並ぶ。
今の日本の意識をうまく表しているように思える。
http://bit.ly/info/6FeDx9
これは、下記のユニクロの「民族大移動」のニュースに対する「ネット反応」である。


ユニクロが「民族大移動」 年内に数百人を海外勤務に
1月4日20時12分配信 産経新聞
カジュアル衣料品店「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングは4日までに、年内に数百人規模のグループ社員を海外に転勤させる方針を明らかにした。中国や韓国、ロシアなどへの積極的な出店に伴う措置。現在の海外勤務者数は約100人で、一気に数倍に増やす。グローバル企業を目指す中で、社員の意識改革を促す狙いもある。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100104-00000591-san-bus_all


これまでトヨタやホンダがやってきたような海外進出の形とはまったく異なる。

グローバル化前の国際化は、現地の品質を日本人が求めるレベルにするための「現地人の日本人化」が目標であった。
だが、グローバル化後の国際化は、「日本人の現地文化理解に基づいた国際化」が鍵だ。「日本人の現地人化」ではない。
あなたが国際化するとはどういうことだろうか。世界中を飛び回ることでもないし、外国語ができることでもない。
フラットな地球の遠く離れたところを理解することである。

そして、それぞれの国や地域の文化に浸ることで、それぞれのニーズを把握し、グローバルのニーズにまとめあげることである。
そしてそれができない、やりたくない、という人は会社から去ってもらいたい、ということもあるはずだ。

これは勝手な憶測だが、恐らく、日本発のグローバル商品の開発を目指しており、裏返せば、日本からガラパゴス(日本)仕様の商品や店舗の割合を減らすことで国際競争力を高めようというものであろう。また、日本人への新しい文化の提案も目論んでいるのであろう。

私は大、大、大賛成である。
日本人の半分が、アジアを軸にした海外文化に浸り、自らの糧にしたら凄いことになると思っている。
これは、日本文化を捨て去ることでもないがしろにするものでもない。

それは、経済だけではなく、愛情の向上である、あって欲しい、と思う。