小山内 裕

続・あなたは今、幸せですか?

あなたは今、幸せですか? 」の続き。

「アバター」を見て、幸せとは何かを考えさせられた。思い知らされた。

アバターは、ストーリーをここで書くと、きっとそれほど新しいものではない、と思われてしまうだろう。
80%は見ながら次が予測できる。「次はどうなるのだろう」とワクワクするような内容ではない。
にも関わらず、惹きつけられる、目を見張る、息を呑む、感動する、身を乗り出す、関心する、考えさせられる、試される。。。

ネタバレになってしまうので、アバターの話はここまでにして。

幸せとはかなり高次の感情だといえる。
欲望とは次元が違う。

欲望を満たすことが幸せになると勘違いしてはいけない。
金、地位、名誉、時間、ゆとり、希望、健康、自由、愛情・・・・

これら全てを手に入れたからといって幸せにはなれない。

これらが不足していても幸せを感じることができる。
つまり、「自分が強く信じられる大切なもの」があるかないかが重要だと思う。
私はこの行為を許すわけにはいかないが、自爆テロを行う人は、恐らく幸せなんだろうと思う。
自分が信じる大切なものを守るために、命をかける。未来のため、家族のため、友のため、そして自分のため。

自他のためになる、自分が信じる大切なもの。
それを持っているかどうか。

当たり前のことではあるが、日常に追われ忘れてしまっていた。

あなたは今、幸せですか?

スピーカーズコーナー・トウキョウ 2010 『地方からの日本再生』の第1回目を聞いてきました。
「幸せ」を改めて考えることができ、とても良かったです。

講師のお話の後のディスカッションでどなたかお話いたしましたが、
「将来を悲観しているのは気分であり、意思があれば楽観できる」
その通りですね。

さてここで質問です。
「あなたは今、幸せですか?」









「うーん」と考えて答えた方、それは気分の幸福度を測りませんでしたか。

即答した方は、明確な「意思」を持っていると思います。
私は真剣に幸せに向き合っている人は必ず<宗教>に行き当たる、と確信しました。
ここで、<宗教>を定義すると、宗教とは神との関係に限りません。
思想、教え、信じる方向・方法、行動原理、意思決定においてすがる考えとか、民族の思想に通底するもの、です。
その認識があって初めてこうすべきだという「意思」(欲望ではなく)が持てると思います。
だから、<宗教>を認めない人は絶対に幸せになれない、なるはずがない、と言えます。
(私が定義する宗教は<宗教>。いわゆる宗教は「宗教」としてます)
そう考えていたら、重大な問題が浮かび上がりました。
多くの日本人は、仕事ではなく人生において、絶対的な幸せは得られない、ということです。
他人と比較した幸せは得られるでしょうが、確固たる心から湧き上がり体が熱くなって涙が出てくるようなジーンとする幸せは得られないということです。

なぜなら日本人は、「宗教」の名のもとに認識したがらない傾向があるからです。
「宗教」という単語はどうも受け入れたがらないようです。

例えばアメリカは先進国化して個人の部分が大きくはなっていると聞きますが、小さくなっても確固たる教えを持っている人は少なくないのではないでしょうか。
何かあればすがることができる心の拠り所、考えの基準を持っているんじゃないかと思います。

一方日本は他国と比較して、将来を悲観している人、将来に不安を感じている人が多いと聞きます。
それは、信じるもの<宗教>を持っていないからだと思います。
だって、「こうすれば幸せになれる」という<宗教>を認めていれば、将来を悲観するなんてあり得ないですよね。
帰りに、次々回に講演なさる安藤千賀さんと一緒のエレベータに乗りました。
2人きりでしたので、少しお話させていただきました。
やっぱり違いますね。
楽しみにしています。興味のある方はこちら
http://www.jpi.co.jp/seminar/seminarDetail.aspx?SeminarNo=201002000&SearchWord=o01

息子がぐずって保育園に行きたがらない

2歳の息子が保育園に行かないと言い出した。
まだしっかりと言葉を話せるわけではないから、実際にはそう言ったわけではない。が、

朝、保育園に行こうと玄関を出ようとするところでぐずる。
保育園へ向かう分かれ道でぐずる。
保育園の入り口でぐずる。
泣き叫んで、仰け反って、行きたくないという意思を示しているのである。
だから、抱きかかえられて無理やり保育園の先生に預けられるのである。

毎朝のことなので、妻も手を焼いてどうしようもないというから私の出番になった。
その朝、例のごとく「行きたくない」とぐずり始めた。
もう、その日は何時間でも付き合うつもりだった。

何で行きたくないのか聞いた。
「お友達が嫌なの?」「先生が嫌なの?」
どっちも嫌だと言う。
ハッキリした理由があるわけではなさそうだった。

いじめれらているといったことではなさそうなので、とりあえず強制的に保育園まで連れて行った。
部屋の入り口で「どうしても行きたくない」という。

私)「それじゃどこに行きたいんだ?」
息子)「コーエン(公園)」
私)「パパは会社に行くから1人ぼっちだよ」
息子)「いいーよ。」

ということで、近くの行きつけの公園に連れて行き、1人置いて会社へ行くフリをした。
少し間をおいて、泣きながら後を追ってきた。

私)「それじゃ、どうするの?」
息子)「おうち帰る」
私)「いいよ、でもパパは会社に行くから1人でお留守番だよ」
息子)「いいーよ。」

妻が出かけたころを見計らって、家に帰り、1人置いて「会社に行ってくる」と家を出た。
すぐに、家の中で「パパー、ママー」と泣き出した。
ここはじっとガマン。

日中はみんなそれぞれ仕事があって、家にはいないということを知ってもらわないとならない。
3分くらいして家に戻り、もう1度保育園に連れて行った。
やはり行きたくないという。
そこで、園の庭で思い出を作ることにした。

息子を抱っこして、「木の芽があるね」とか「さくらんぼが残ってるね」とか園の庭の4隅を中心に観察した。

遊具に座って一緒に空を眺めたりもした。

少し高い所に立って「すごいよー」と言う息子。

「寒い、寒い」と言いながら、日の当る場所を探して移動したり。

日常の延長で特に変わりない時間を過ごした。

だが、よく考えてみれば、息子が生まれたときにはもうお姉ちゃんがいて、父子2人きりで過ごした時間はほとんどなかった。

恐らく、初めて2人でゆっくりした時間だったと思う。
そのうち、息子は自分で階段を上って2階の友達が待つ部屋へ行った。

大学受験に失敗したら働くつもり

先日、神保町駅で下車してある顧客まで行ったときの話しである。

今までその顧客の会社へは九段下の駅で下車して行っていた。
ただ、それだと、渋谷で乗り換えないとならない。面倒である。

別ルートで半蔵門線を利用することも可能だったが、どうもしっくりこなかった。
調子が乗らないのである。フィーリングが合わないのだろう。

ということで、駅から少し歩くことになるが、その日は神保町駅で下車することにした。

神保町の駅には別名(シノニム)がある。「専修大学前」。

専修大学の神田校舎の最寄り駅が神保町であることはずっと昔から知っている。
私はその大学の卒業生だから。

私は「専修大学」の文字を見るたびに身が震える。
感謝の気持ちで一杯になる。涙さえでそうになる。

今の私のスタートラインを与えてくれた大学だからだ。

受験当時、私の偏差値の平均は50に届かなかった。定期的な模試で、30代の偏差値だって珍しくなかった。
そんな私を受け入れてくれた唯一の大学。

私の高校時代は、電気の勉強ばかりで、受験科目の勉強など一切したことがなかった。
英語、数学、古文、現代文、世界史、日本史、物理、生物学などほとんど中学生レベルの内容ばかりであった。

そんな私がそこを飛び出して、大学受験に挑戦したのである。
大学受験に失敗したら働くつもりだった。

受験日までちょうど1年という時に、進学したい大学を探すことからはじめた。
慶応、早稲田、東大くらいしか知らなかったが、そのときに初めて「日東駒専」という言葉を聞いた。
なぜか、専修大学が気になった。
ここに行けなかったら、大学進学はあきらめようと思った。
が、いちおう、日大、東洋、青学、センター試験も受けた。

結果的に合格したのは専修大学だけだったのだが。。。

さて、専修大学の受験は、英語、国語、数学の3科目。
英語と国語は30点くらいだったんじゃないかと思う。まったくといってよいほどわからなかった。

だが、数学だけは別格だった。
数学だけは100点の自信があった。時間的に余裕もあり、十分見直しもできた。

実は、数学だけは好きで、得意だった。
唯一、勉強しただけ結果が表れた科目だった。
だから、もっとも勉強に時間を費やした。

それでも、3科目の平均点で見れば、不合格間違いなし、だったろう。
だが、合格したのである。

恐らく、数学だけで入学させてくれたのだ。
たった1つだけだができていたから入学させてくれたのだ。

平均で判断せずに、1つだけでも長所があれば取り上げる。
専修大学がそうしてくれたから今の私があるのは事実である。
もっと言えば、私を採用してくれた会社も同じであろう。

だからだろうか。
私は平均的にできる人よりも、1つでも飛び抜けたものを持っている人が気になる。
当然、平均的にできる人も組織にとって必要であるのに。