小山内 裕

IQだけではダメだ-6・8 秋葉原での通り魔の読み方

IQの高さが人の能力の高さ、人の幸せを保証するものではないことは明らかだ。

しかしながら、IQや記憶力だけで判断しようとしているケースがないだろうか。
さらに深刻なことはEQの欠落による、人の心を踏みにじる行為が平然と行われることだ。

EQとは感情をコントロールする能力の高さを表す。
詳しくはダニエル・ゴールマン『EQ こころの知能指数』をお読みいただきたい。
さて、秋葉原の通り魔-殺人犯-は学校での勉強はよくできたらしいが、それが事実だとしても何の意味もない。社会の勉強、人間の勉強といった類のものは落第である。
それらは生まれたときから始まり、死ぬまで続ける勉強であろう。自分の言動が他人に与えた影響を知ることができる、他人の反応からどう対応したらいいか考え行動することができる、人の喜びや痛みに共感できる、そういった能力の開発である。

今の日本の学校の授業では取り扱わない内容である。学校ではほとんどがIQの開発だと言える。
EQの開発にもっともっとリソースを注ぐべきであろう。

価値への固執 - 私の価値は何か?

プロジェクトチームメンバーのAさん。ユーザーからの問い合わせの1次対応をしている。

1次対応とは、ユーザーから見た質問やトラブルに関する受付の窓口であり、回答してくれる人である。
1次対応で解決できないことは、分野ごとにさらに詳しい人に尋ね、得た回答をユーザーに伝えることである。だからユーザーの質問とその回答を理解しなければそれはできない。
さて、そのAさんは何をしているのかというと、ユーザーからの問い合わせ内容をExcelに書き込み、1つ1つ解決したかどうかを確認しているのである。これ自体は問題ない。
問題はその次である。

Aさん: 「この件、ユーザーに回答してくれますか。」と私にいった。

私: 「ん?何の件?」

Aさん: (ユーザーから送られてきたメールの内容を読み上げた。)

私: 「要はどういうことなの?」

Aさん: 「わかりません。メールにはこう書いています。」

私: 「。。。。。」
Aさんは、ただ単に、ユーザーの質問内容も理解せずに、文中にあるキーワードを元に2次対応に転送しているだけなのである。
「Aさんの価値はどこにあるの?自分の仕事の範囲をどこからどこまで規定しているの?」

Aさん: 「問い合わせをExcelに入力して進捗を管理しています。」

その後も観察していると、AさんはExcelに入力した1件1件の問い合わせに対して「Close」(解決済み)と入力することに自らの価値を置いているのである。
価値ある仕事だろうか。自己満足ではないだろうか。

目的は職務のレベルに応じて異なるが、Aさんの場合「ユーザーの疑問・質問・直面している問題を解決すること。自力で解決できない問題は適切な人に聞く。」ことが最低ラインの価値であろう。
それを少し引き上げれば「ユーザーが効果的、効率的にシステムを利用できるようにする」といったことも追加される。また別の立場の人であれば「ユーザーがシステムを利用することで、売上げにつながるヒントを得られるようにする」とか「価値の創造を促進する」、「売上げの成長率を高める」、「粗利の高い商売につなげる」といったことになろう。

この最低ラインは自分が決めることではない。今回の場合、プロジェクトチームのメンバーとユーザーが決める。自分は価値を引き上げる努力をしながら周囲の反応を確認することになる。
自分が出した成果のどこにユーザーが満足したのかを探る必要がある。

そのためには試行錯誤しながら自分自身の価値を明確なものにする努力が必要である。

お金と時間以外のコストを考える

「コストを引き下げて利益を増やす」…資本主義においては使い古され、これからも使われ続けるセンテンスであろう。
コストは単なる時間やお金の出費だけではない。コストを下げるにはどうしたらいいか、を考える前にコストとは何かを考える必要がありそうだ。

コストは発生する場所で大きく3つに分けられる。
自社で発生するコスト、取引先で発生するコスト、顧客で発生するコスト。
私の長期的目標は「地球社会に貢献する会社」の実現であるから、自社のコストさえ低ければいいとは考えない。直接的、間接的に関係する人などのコストを引き下げることも対象とする。

さて、コストといった場合、お金と時間以外にどんなものがあるだろうか。
低い信頼性、面倒くさいこと、理解しにくいこと、、、これらもコストである。

クラウゼヴィッツ『戦争論』では、不確実性の源泉を「摩擦」と呼んでいる。計画通りに物事が進まないのは、摩擦があるからだ。だから摩擦を減らすことでその確度を高める努力をする。参画者が計画を理解していることが成功の鍵だとすると、その計画がどんなに優れたものであっても理解しにくい、1つ1つのタスクが面倒で気乗りしないようなものであったとしたらどうであろう。恐らく、摩擦が多すぎて成功は困難であろう。
言い換えれば、成功をより確実なものとするためには摩擦を減らすことである。摩擦を減らすにはコストを減らす必要がある。

企業が外部のリソースを内部に取り込むのもこれで説明がつく。簡単な例では、エクセルを高度に使える人を社内に配置しておくことで、いつでも希望通りにグラフを作成することができる。しかし、そのような人がいない場合、外部に委託しなければならない。そうすると、その手配から始まり、委託業務内容の詳細を伝え、費用と時間の調整をしなければならない。摩擦だらけである。

一方、顧客で発生するコストとは、ユーザビリティの低い製品を使うこと、予約が必要でその手間がかかるサービスを利用する、信頼性の低い情報システムを使うことなどである。得られるベネフィットと比較してコストが大きい場合、言うまでもなく顧客はコストを嫌い離れていく。

このように考えると、コスト削減のアプローチが変わってこないだろうか。つまり、使うお金を減らすことではなく、利便性や信頼性の改善と捉えることができる。そしてそれは同時に付加価値を高め、売上げを増加させる。

インド 有名プログラミング書籍は有名か

昨年から今年の3月にかけて 『Let Us C』 (邦題 『インド式プログラミングバイブル C言語入門 (上)』 )というCプログラム言語の書籍の日本語訳をした。ヤシャバント・カネットカールというインド人が書いた本である。

インド式プログラミングバイブル C言語入門 (上)/Yashavant Kanetkar

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¥2,520
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これは、インド ITエンジニアではCプログラミングのバイブルであり、100万冊以上が販売され、大学や専門学校の教科書に使われているという。さらに、就職試験の出題はこの本からだされることが多いという。

たしかに、わかりやすい内容になっている。多くのプログラミング書籍が省略する、プログラム上では当たり前の、しかしながら重要なことがきちんと書かれている。実際に、この本を翻訳するにあたって巷に出ているプログラムの書籍を研究したが、売れている本はその点がもれなく掲載されている。

また、一度プログラムを勉強した方で、配列やポインタなどがわからずに断念した経験があるのであれば、再度チャレンジしてみて欲しい。丁寧な説明がされているので理解できると思う。確かに、プログラミングをするにあたって、細かいルールがたくさんある。でも、この本はそのことに触れながらも、難しさを感じさせない。とりあえず、こういうルールがあるんだな、という程度で頭の片隅に置いておいても、進められるようになっている。

さて、最初に、この本はCプログラミングのバイブルだと書いたが本当だろうか。
それを確かめるべく、職場のインド人たちで確認してみた。まず、翻訳した本を片手に彼らの前を歩いてみた。するとすかさず興味を示してきた。「何でそんな(インドの)本を持っているのか」と聞かれ、日本語訳された本であることを伝えると、「おー日本語もあるのか」と驚いていた。別のインド人はパラパラとめくりながら「イッツ ベリー フェイマス(とても有名な本だからな)」と言った。
この本は誰でも知っているのかと聞くと「ほとんどの人が知っている」と、そして就職試験にもでるのかと尋ねたら「そうだ」と言っていた。

確かに有名であることは確認できた。
すごい本を翻訳したんだな、と改めて思った。