先日、神保町駅で下車してある顧客まで行ったときの話しである。
今までその顧客の会社へは九段下の駅で下車して行っていた。
ただ、それだと、渋谷で乗り換えないとならない。面倒である。
別ルートで半蔵門線を利用することも可能だったが、どうもしっくりこなかった。
調子が乗らないのである。フィーリングが合わないのだろう。
ということで、駅から少し歩くことになるが、その日は神保町駅で下車することにした。
神保町の駅には別名(シノニム)がある。「専修大学前」。
専修大学の神田校舎の最寄り駅が神保町であることはずっと昔から知っている。
私はその大学の卒業生だから。
私は「専修大学」の文字を見るたびに身が震える。
感謝の気持ちで一杯になる。涙さえでそうになる。
今の私のスタートラインを与えてくれた大学だからだ。
受験当時、私の偏差値の平均は50に届かなかった。定期的な模試で、30代の偏差値だって珍しくなかった。
そんな私を受け入れてくれた唯一の大学。
私の高校時代は、電気の勉強ばかりで、受験科目の勉強など一切したことがなかった。
英語、数学、古文、現代文、世界史、日本史、物理、生物学などほとんど中学生レベルの内容ばかりであった。
そんな私がそこを飛び出して、大学受験に挑戦したのである。
大学受験に失敗したら働くつもりだった。
受験日までちょうど1年という時に、進学したい大学を探すことからはじめた。
慶応、早稲田、東大くらいしか知らなかったが、そのときに初めて「日東駒専」という言葉を聞いた。
なぜか、専修大学が気になった。
ここに行けなかったら、大学進学はあきらめようと思った。
が、いちおう、日大、東洋、青学、センター試験も受けた。
結果的に合格したのは専修大学だけだったのだが。。。
さて、専修大学の受験は、英語、国語、数学の3科目。
英語と国語は30点くらいだったんじゃないかと思う。まったくといってよいほどわからなかった。
だが、数学だけは別格だった。
数学だけは100点の自信があった。時間的に余裕もあり、十分見直しもできた。
実は、数学だけは好きで、得意だった。
唯一、勉強しただけ結果が表れた科目だった。
だから、もっとも勉強に時間を費やした。
それでも、3科目の平均点で見れば、不合格間違いなし、だったろう。
だが、合格したのである。
恐らく、数学だけで入学させてくれたのだ。
たった1つだけだができていたから入学させてくれたのだ。
平均で判断せずに、1つだけでも長所があれば取り上げる。
専修大学がそうしてくれたから今の私があるのは事実である。
もっと言えば、私を採用してくれた会社も同じであろう。
だからだろうか。
私は平均的にできる人よりも、1つでも飛び抜けたものを持っている人が気になる。
当然、平均的にできる人も組織にとって必要であるのに。