柔軟性があるのは子どもか老人か

フードコートでの出来事。
お母さんが「サブウェイでフライドポテトを買ってきたよ。」と言うと、
フライドポテトを見た子どもは「えー?フライドポテトじゃないよー。」と言った。
サブウェイのフライドポテトは、よく見かけるマクドナルドにあるようなものとは形が違う。じゃがいもの形が残っているのだ。

こういった子どもの固定的な考えが表れる例はよく見かけないだろうか。転校生がいじめられるのはこれと同じだと思う。
ものの見方が固定的で違うものは差別するのだ。
だから、大人は子どもに多種多様なことを教えないといけない。
それに応えるかのように、子どもは吸収力があるので、どんどん新しいものを受け入れていける。
さらに、考える力、柔軟な思考もできるように教えられる。
知識を吸収し、考えることで、人は年を追うごとに柔軟になってくる。

そう考えると、実は老人がもっとも柔軟な思考の持ち主ということになるのだろうか。
「そうは思えない」という人がいるかもしれない。それはなぜか。
頑固な老人に対するイメージは、多くの経験から生じる確固たる考えとゆるぎない自らの基準を持っている、というものである。

では、柔軟性があるのは誰か。
自分の考えや行動に問いを投げかけられる人、他人を否定しない人ではないだろうか。