修士論文があぶない-緊張の毎日

思い返せば、昨年11月から12月は毎日緊張状態でした。

昨年の10月くらいまでは既に仮説は持っていましたので、あとは調査すれば何とかなるだろうと高をくくっていました。しかし、調査をすればするほど仮説どおりの結果が得られないばかりか、何か結論らしきものも見えるかというとそれもありませんでした。
さらにやればやるほど、仮説さえも理論的ではないことが明らかになり、11月以降はホワイトアウトした状態でした。緊張が始まったのはこのときからです。

論文は提出しないと卒業するかどうかの判定にも持ち込めないので、とりあえず盲目的に部分的に書いていましたが、自分でもどこへ進んでいるのかわからないので、常に体が緊張しており、フトしたときに冷たいものが体の中を走るのを何度も感じていました。
一応指導教授を決めておりましたが、時間がないので、機会があれば手当たり次第に相談できる先生方に、とりあえずの論文の目次を見せ、自分の考えを話し、相談しておりました。

もやが晴れたのは、調査のためのインタビューを行った後でした。帰り道、インタビューをする限りあまりその組織はうまくいっているとは思えませんでしたが、当人はうまくいっているというのです。なぜ私はうまくいっていないと思うのか、なぜ彼はうまくいっていると思うのか考えをめぐらしました。インタビューではそれがつかめなかったのです。
考えているとき、なぜだかわかりませんが、ひらめきがありました。「あっ、これが私が大事に思っている2つだ」と。あとは簡単です。2軸で説明するだけです。

そうして、昨年12月29日にようやく結論を見出し、論を立てる構成ができました。

わかりきっていると思っていることでも、人と話し、なぜか?、を問い続けることが答えを導きだす方法かもしれません。