EQが創る場と関係性

野田先生、熱い。話しているうちに情熱的になってくる。
野田先生はよく言う「人事ではやる気をいかに引き出すかが大切だ。方法は何でもいい。」
授業でもそれを体現しているのだ。
野田先生に限らず、多摩大学の先生方はみんな熱い。それがこの大学に決めた理由のひとつだ。
高いコストをかけてわざわざ大学にいかずとも、知識は身につけることはできる。
重要なのはその知識を使って創造する「何か」だ。創造をかきたてる授業が”私にとっては”ある。
これは合う人合わない人がいるでしょう。”私にとっては”この場がフィットしているということだ。
私は、私と相手(大学院、先生、学生など)との関係でアウフヘーベンが起こる場が創れるといいな、と思っている。

さて、学部のときに抱いていた先生に対するイメージとはまるで違う。
大教室でたくさんの学生がいて、先生は遠くで淡々と本の解説をする、それが私が学部のときのイメージであった。
しかし、よく思い返せば、ゼミの授業のときの関口功先生は違った。語るうちに熱っぽくなっていったのを覚えている。少し興奮気味だった。大教室での先生とまるで違うから、友達と驚きを共有したのを覚えている。
よくよく考えると、実は本当は先生方はみんな熱いのかもしれない。聞き手のレスポンス、何かを身につけてやろうというやる気が先生を熱くして、熱くなった先生を見て聞き手もまた熱くなる。先生と学生の関係性がお互いを楽しくしているのだろう。

それが昔、私が学部の時に知ることができたら。。。。そういう意味では学部の4年間の充実度は、この2年間分にも満たないような気がする。もったいないことをしたなー、あの頃の私はEQが低かったなー、としみじみ思う。
ま、とにかく今を一所懸命やるしかない。一度きりの人生だし。